葛飾北斎の生涯『HOKUSAI』(柳楽優弥、田中泯W主演、阿部寛、永山瑛多出演)、コロナ禍の現代にこそ強いメッセージを感じ、良かったです!

こんにちは!星二です。今日は日曜日。ゴルフの予定もなく、妻、彩子の勧めでショッピングモール内の映画館で『HOKUSAI』を観ました。江戸時代後期の絵師、葛飾北斎の若い頃と晩年を描いたものでしたが、江戸時代は、絵にしても、文章にしても、如何に「表現の自由」がなかったか思い知らされました。表現の禁圧が厳しい共産主義の近隣国家を笑えない状況がありました。それからすると、このようにブログで他者の権利・利益を侵害しない限り、自由に書けることの有り難みをしみじみと感じた次第です。明日からのゴルフ練習や記事の執筆の意欲が湧いてくる作品でした。

なぜ今『HOKUSAI』なのか

ここからは、私、彩子が担当します。

葛飾北斎というと日本史の教科書によく出てくる「富嶽三十六景」の波が思い浮かぶくらいで、どんな生涯を送ったのかはあまり知られていません。私もきっと絵師の家に生まれたとか、あるいは道楽で絵を習ったとかして才能を見出されたのだろうと漠然と考えておりました。そんな私がなぜ急に映画「HOKUSAI」を観に行こうと星二を誘ったのかというと、きっかけは単純に金曜日の夜の永山瑛多が出演しているドラマ「リコカツ」の記事を読んだことでした。

永山瑛多さんの「リコカツ」での役柄緒原紘一は堅物の自衛官で、まるでサムライのようなキャラで、不器用さの中に心の清らかさ、優しさが垣間見える現代人です。その記事の中では永山瑛多さんが「リコカツ」の前に出演した映画「HOKUSAI」でも「リコカツ」の緒原紘一のキャラは既に出ていたようだとされていました。それで、映画「HOKUSAI」が気になり更に調べてみたところ、当時の浮世絵は江戸の町民の間で人気を博し、江戸の町人文化を発展させたが、幕府にとっては自由で闊達な、そして時にエロチックな浮世絵が世の中を乱すとして幕府の弾圧の対象となっており、北斎も90年の生涯で名前を30回変え、93回の引っ越しをしたとありました。それを読んで、私はそれまで全くといっていいほど関心のなかった葛飾北斎の生涯に急に共感を覚え、どんな人生を歩んだのか知りたいと思いました。

ただ映画は2020年の制作とありましたので既に上映している映画館はないだろうと、アマゾンプライムを当たりましたが見つかりませんでした。どこかでリバイバルでもやっていないかと検索すると、コロナ禍で上映が延期され今年の5月28日に封切になったばかりと判明し、地元の映画館での上映スケジュールを調べて、今日干渉するに至ったわけです。なんとなく、この映画を見るように誰かに言われている気がして仕方がありませんでした。

平均寿命が40歳といわれる江戸時代に、北斎は90歳という異例の長生きをしています。引っ越しの回数は93回。一体どんな風に人生を生きたのだろう、私は少しワクワクしていました。

映画のキャスト

物語の主人公葛飾北斎は、若い時は柳楽優弥が、年をとってからは田中泯が演じるというWキャストでした。

その他には、北斎や他の絵師を見出した稀代の版元蔦屋重三郎に阿部寛、吉原に寝泊まりして美人画を描く人気浮世絵師喜多川歌麿役を玉木宏、武士でありながら名を隠して物語を書く人気戯作者・柳亭種彦役を永山瑛太が演じていました。

葛飾北斎の人生

北斎は士農工商の身分制社会において、おそらくは下の方の階級出身で、当初絵師になることで世の中の身分を越えた出世の階段を上れると考えて、絵師に入門し、写実的な絵を描いていたようです。しかし、自分の絵に筆を入れた兄弟子を殴り破門になり、売れない絵師として貧しい暮らしをしていたところ、喜多川歌麿や東洲斎写楽を世に出した希代の版元・蔦屋重三郎に見いだされ、重三郎の後押しにより、その才能を開花させていきます。

北斎が世に出るために絵を描くという目的から離れて、自分の心のままにその思いを描いたのは、一度は絶望の淵で足を踏み入れた海の波で、その絵を見た重三郎は「良い絵だ。」と彼の才能を認め、「絵は世の中を変える力がある。」と世界地図を見せなが見知らぬ国で絵を売りたいという自分の夢を語ります。それ以降、北斎は独自の革新的な絵を次々と生み出し、一躍、当代随一の人気絵師となり、独自の世界を描いていくようになります。

北斎は68歳で脳卒中を患い、半身が一部不自由の身になるも、突如知らない世界を見てみたいと旅に出ます。妻の位牌を横に置いて、海辺で絵を描き、次々と現代に残る作品を生み出していき、やがて、90歳に手の届くころ、かつて挿絵を描いていた人気戯作者・柳亭種彦(永山瑛太)が戯曲を辞めろという上官の命令に従わずに死亡したという事実の裏にかくされた真実を絵にし、北斎にも幕府の弾圧が及ぶことを怖れた娘の願いを聞いて再び江戸を後にするのでしたが、弟子を訪ねた土地で再び絵を描き続けます。90歳の人生の最後の最後まで。

映画を見終えて

星二も冒頭で言っているように、私たちは今自由な世界に生きています。日本政府には幕府のように私たちの生活を規律する権力はありません。身分制度もないし、職業選択の自由も当然ですがあります。正に、映画の中で北斎や蔦屋重三郎が待ち望んでいた世の中が、私たちの生きる現代社会なのです。

しかしながら、私たちは常に自分を縛るものを見つけ出す性質があるようです。自分を縛るもの、それは目には見えない制約です。

身分や家制度、幕府はもう存在しないのに、自分の環境の中で様々な「自分にはできない理由」を私たちは考え出しがちです。

また、私たちは自分の生き方や考え方を自分で決める権利(自己決定権)が与えられているのに、自分の人生を自分の気持ち、心以外の理由で選択してしまいがちです。それは親や周囲の期待を裏切らないためであったり、周囲に認められたいという承認欲求だったりと人によりその理由は様々ですが、こんなに自由な世界の中で自分自身の心を見つめることなく、自分の生き方を選択してしまいがちなのです。

私たちも、随分と長い間、自分自身の心を見つめることなく生きてきてしまいました。周囲の期待に応えることが優先してしまい、自分の本当にやりたいことが何なのか考えることすらしてきませんでした。一生懸命にやってきたことは事実ですが、「なぜ、何のために?」と北斎のように、過去の私たちが蔦屋重三郎に尋ねられたら、おそらく同じ答えをしてしまったのではないでしょうか。周囲の期待に応えるため。そして、それが自分たちの自己実現だと思っていたのです。

ここにきて、私たちが仕事とは全く無関係なゴルフを人生の大切な目標に定めたことは、自分たちの本当にやりたいこと、やっていて楽しいことがゴルフだからなのです。北斎のような長い人生をかけて追求するということは最早できませんが、これからの私たちの人生の中心にこのゴルフを置きたいというのが現在の気持ちです。

北斎は、90歳で亡くなる間際に「あと5年あれば真の絵描きになれた」と発言するなど、生涯全く衰えることのない向上心をもち、絵を描き続けました。68歳の時には「描き続けたいから」と脳卒中を自力で治すなど、自らの意欲と努力で奇跡を呼び起こしています。北斎ほどの天才でなくても、凡人でも諦めずに、自分の心の赴くままにやり続ければ、きっと年齢に関係なく光は射すのだと思います。そうでなければ、70歳からの旅で描かれた「富嶽三十六景」は今私たちの目の前に存在しなかった訳ですし、3万点にも及ぶ北斎の作品は今日残されなかったのです。

年齢も制限にはならないのです、本人がそう思わない限り。

北斎は、私たちに勇気、やる気、元気を与えてくれました。

すみだ美術館に展示されているという北斎の浮世絵を今度観に行ってみたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事を書いた人

seiji

Seiji

経済学部で学んだ知識を使って会計関係の仕事に従事。仕事の関係で始めたゴルフに15年間取り組むも、思うように上達せず。50歳の誕生日を機に、好きなゴルフを中心にした人生を再構築することを決意し、妻の彩子と二人で生活の見直しを図る。会計の仕事を徐々に減らしつつ、投資家ゴルファーへの転身を目指して、日々奮闘中。ゴルフの目標は、3年以内にシングルプレイヤーとなること。現在のベストスコアは、86。