首都高6号線向島ICに入る隅田川沿いの道は、桜を観に訪れた人たちでいっぱいでした。
ステイホームのために桜を見ることすら叶わなかった昨年や一昨年の春、それらとは違う春の訪れを感じました。
寒の戻り
先週は、急に寒くなったり、また暖かくなったりと寒の戻りと言えるような日があり、春は近くに来ているようで先のようにも思えました。
土曜日には雨も降り、コロナの上にロシアのウクライナ侵攻もあり、気持ち的にも閉塞感に襲われ、なかなか光を見出せない感じもありました。
桜咲く
星二と私は、沖縄から戻ってから、それぞれ別々に北関東と東京で仕事をしていました。
私、彩子は木曜日に再度東京に戻り、3月27日の日曜日に、再度二人で北関東の自宅に帰るところでした。
私たちの東京の住まいは、中央区晴海にあるので、いつもは箱崎から首都高に乗ります。
しかし、箱崎IC付近は混雑することがあるので、それを回避するべく向島ICも使うことがあります。
今回も向島ICに向かって北上しておりました。
隅田川沿いにやけにたくさんの人の姿が見えたので、何かイベントでもあるのかと思いました。
すると、フロントガラス越しに、満開の桜並木が飛び込んできました!
墨田区役所辺りからのたくさんの人の出は、この満開の桜を観るためのものでした。
寒い日が数日続いた後で、温かい日が急にやってきたようで、桜が一気に咲いていました。
コロナが教えてくれたこと
昨年もその前の年も、春とはいえ、春らしいことはできませんでした。
お花見もお団子も桜の木の下で味わうことはできなかったでしょう。
それが、今年はようやくできるようになったのです。
まだまだ感染防止の注意は必要でしょうが、かつてのように未知のウィルスへの恐れはほとんどなくなりました。
コロナ禍になる前は当たり前だと思っていたことが、実は当たり前では無いということを日常のあらゆる場面で経験しました。
また、動かしようがないと思っていたこと、例えばオリンピックの開催年なども、実は変更できるのだということも分かってしまいました。
個人のレベルでも、企業や国家のレベルさえも、それまでの常識がコロナによってひっくり返されたと言っても過言ではないと思います。
人生には本当に何があるか分からないということをしみじみ感じた2年間でした。
そして、その間、人生は限られた時間だからこそ、やりたいことを後回しにしないようにしようと、私たちは、夫婦で話し合いました。
コロナ禍は、それまでの長い間、自分たちの規範の中心にあった、自分のことは最後に回すという価値観を見直す時となりました。
そして、わがままでもいいから、自分たちが最後に後悔しない生き方をしようと決めました。
もしかしたら、コロナ禍で時間が強制的に停止したかのような時期がなければ、昔の価値観のまま生きて、そして、死んでいったかもしれません。
今は、コロナ禍で改めて人生の時間や可能性の大切さを見直すことができたことに感謝をしています。
コロナ禍を境にして、自分の人生の意味が少し変容した気がします。
これからは、自分の人生を自分で創造していく、そして、自分が自分のためにできること、何か他の人のためにできること、そんなことを模索して行けたらいいと思っています。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます!