北川景子主演ドラマ「リコカツ」は、なぜ面白いのか?女性はいくつになってもときめいていたいものなのか?

私、彩子は金曜ドラマ「リコカツ」を毎週楽しみにしています。主演の北川景子さんのファンということもありますが、やはり、相手役の緒原紘一役の永山瑛多さんの奇想天外な言動から目が離せませんし、家族全員が離婚するという現代社会においてはあり得ないとも言えない設定が面白いと思います。

主演のカップルの離婚と結婚観・恋愛観

出会ってから3ヶ月、交際期間無しで即結婚に至った緒原紘一(永山瑛多さん)と水口咲(北川景子さん)の夫婦は、お互いに本音で相手にぶつかり合い過ぎて衝突、離婚しかないと心にお互いを思う気持ちを残しながら離婚する。

思ったことを好きな相手に率直に表現できるようになるまでに、一般のカップルではどれくらいかかるのだろうか?昨年が結婚20周年だった私の場合には、最近ようやく自分の本音を口にできるようになった気がする。夫の星二もおそらく同じだろうと思う。最初の頃は、お互いに相手の気に入りそうなことは口にしても、不協和音を出したくなくて、本音は口に出来なかった。相手のことが好きだし、うまくやって行きたいと思うからこその結果として、本音は隠すというのが一般のカップルではないだろうか。

それでも、時々苦しくなってけんかになったり、相手に腹を立てたりしながら、お互いの性格や長所・短所を経験的に知っていく。

このドラマで、それぞれがやりがいのある仕事をもっていた緒原夫妻にとっての結婚は、仕事と同じように自分のやり方で相手の幸福を実現する、実現まではできなくても貢献するのが夫婦だと考えているように見受けられた。少なくとも結婚式で二人はお互いを「幸福にします!」と宣言していた。

そして、自分のやり方や価値観が相手のそれとあまりに違うと言って、離婚することによるリセットを選択してしまったように思えた。相手にとっては自分と一緒にいるよりも、もっと効率の良い相手がいるのではないかと考えてのことだったかもしれない。

現代の20代や30代の女性にとっては、社会で働くことと家庭をもつことは二者選択ではなく、両立することが前提なのだと咲のセリフを聞いていて感じた。紘一は、おそらく自分の母親と同じように自衛官である自分をサポートしてくれることを優先して働いてくれることを期待していたのかもしれない。この点には最初からギャップがあったし、そのことに気がついた二人が選んだ道がリセット、離婚であったとも言えよう。

しかし、かつては女性の仕事は結婚までの腰かけと言われ、女性が一生の仕事をもてるのは限られた職種においてであった。

私、彩子もまだ女性が結婚後も働き続けるということに男性が慣れていない時代の世代だ。女性は外で働くのはいいけれど、家事もきちんとこなした上で自分のキャリアを形成してほしいという男性からの無言の欲求があったように思う。

咲は完全に古い時代の女性たちとは一線を画する。

紘一の母親が妻や母以外の「自分」という存在をもちたいと言って家を出た時、「かつては、仕事と家庭と選ばなくてはいけない時代もあったけれど、今は違う。」という趣旨の咲のセリフがあったと記憶している。これを聴いて、私は時代が完全に変容したことを感じた。多くの男性もそれを当たり前のことと捉えているのだと思う。

そんな現代的な咲だけど、人を好きなり、その人と一緒に生きていたいと思う気持ちは時代を経ても変わらない。そして、自分のキャリア・人生観・価値観の異なる相手といることで自分自身も変化しなくてはならないことに気付き、それをも厭わずに相手と生きていく道を選択するというのは、いつの時代にも共通する。ここは時代に拘らず、誰もが経験する思いで、咲の気持ちに自分の過去の気持ちを視聴者は重ねているのだろうと思う。少なくとも私はそうだ。だから、リコカツは面白い!

親世代の離婚と結婚観・恋愛観

紘一と咲の離婚が進行すると同時に、二人の両親がそれぞれ離婚するという展開で物語が進む。

紘一の両親は、自衛官として国防に当たり、自分が家族を守っているという自負の下、妻の心の寂しさに全く気付かなかった父と息子紘一の独立を機に自分の人生を歩もうと家を出た母という、現実にもよくある夫婦のパターンだ。

30年以上も一緒にいて相手の孤独に気が付かないというのはあまりに鈍感過ぎると思うが、結婚後の男性というのは妻に対して視野狭窄に陥りやすいらしい。

緒原父は、最初は妻の言動が信じられないと思っていたようだが、離婚届にサインした辺りから徐々に現実を理解し始め、自分の歩んできた人生をじっくり振り返り、失ってはならない存在として別れた妻を位置付けたのだろう。妻が仲居として働く旅館に自分も住み込みで雇ってもらおうと出向く辺りから、緒原父の人間性、仕事や立場を離れた人間性の回復を感じた。

やはり、妻のことが好きなのだ。それは、結婚した時もそうだったはずだし、愛情は長い時間を経ても熟すれども決して廃れないと思う。私自身も自分の結婚の中で夫に対してそのように感じている。出逢った頃のトキメキは今は懐かしい思い出の写真のようなものだが、ときどき取り出しては楽しんでいる。

次に咲の両親だ。自分の取り柄は外見だけと強気で振る舞う水口母と水口母のことを一番大切に思っているのに結婚以来浮気をしてきた水口父。水口父が浮気を認めたことが踏み越えてはいけない一線を越えたとして水口母の求めで、夫婦は離婚する。

この水口夫の行動は理解に苦しむところではあるが、広告業界という派手な、誘惑の多い世界の男性の行動パターンなのか。

それぞれが自由に行動する家だったという咲の言葉と裏腹に、お互いにもっと相手と親密に暮らしたかったのではないかとすら考えてしまうが、この夫婦もお互いに素直な気持ちを相手に伝えることなく、長い間みせかけの自由を満喫している風を演じていたのかもしれない。もっと早くの水口父が水口母に、自分にとって一番大事なのは22回もプロポーズした水口母だということを伝えてあげていたらと思ってしまうのは私だけだろうか。

両方の両親に共通して言えることだが、二組とも長い夫婦生活でもっと本音を出し合っても良かったのではないだろうかということだ。

今回、離婚という法的な形を取ることで、ようやく夫に妻の気持ちを理解させるチャンスが訪れたとすれば、二組の夫婦にとっての離婚は決して無駄なことではないと思う。まだまだこの先20年も30年も二人で生きる時間は残されている(水口母の場合には病気の治療がうまくいくことを前提として。)。

長い間人生を共に歩んできた夫婦には、先に来る未来とこれまで歩んできた過去と両方の道があり、過去を一緒に振り返り、懐かしみながら、未来を歩んでいくことができる。これからの道は老いていく道だから、身体も弱くなるし、できることも減っていく。坂道をゆっくり下っていく道だ。その時に心からお互いのことを思いやれる相手になるには、素直に自分の心を言葉にできる相手がいい。

緒原夫妻や水口夫妻には、そんな夫婦になっていくのではないかという予感がする。

こちらに関しては、視聴者の多くは自らをあるいは自分の両親を重ねて見ているような気がする。そして、年を重ねても、女性は最も身近な男性から大切に思われているということを自分の心の支えにしているところはとても共感を呼ぶのではないだろうか。ここもリコカツが面白い所以だ。

結婚の先にあるものは何か?

フランスの劇作家アルマン・サラクルーという人の言葉に次のようなものがある。

「結婚は判断力の欠如、離婚は忍耐力の欠如、再婚は記憶力の欠如」

この言葉どおりだとすれば、結婚は恋に落ちて正常な判断ができなくなってするものであり、離婚は忍耐を要する結婚生活の限界を超えた時にするもの、再婚はその過ちを忘れたときにするものということになる。

確かに、結婚するときには人生がばら色に感じられ、好きな人と一緒なのだからすべてが楽しく感じられるだろうと思う。

そして、実際の結婚生活は生活だから、責任も増えるし、自分の好き勝手には行かないことも多くなる。離婚というリセットを選択するのは、責任を負えなくなったり、相手のペースに合わせることができなくなったり、他の人との人生を歩みたいという事態に至ったときである。

しかし、結婚も離婚も、過ぎてしまえば実は人生の一つの通過点である。大きな通過点ではあるが、それによって自分が自分以外の者に変わるわけではなないし、世界が一挙に変わるというものでもない(特殊な相手と結婚した場合には世界が変わることもあるかもしれないけれど。)。

そうだとすれば、結婚して添い遂げる場合も、結婚して離婚する場合でも、ずっと自分は自分でしかないのであり、自分の人生をひたすら歩み続けることしかないのである。

とはいえ、自分が自分の人生を歩む中で、やはり結婚相手の影響は大きい。自分が自分らしくいられる相手であれば自分はどんどん成長していけるし、相手の人生にも良い影響を与えられると思う。つまり、お互いに助け合って生きることができる。

だから、結婚は気の合う相手にめぐり逢えれば是非するべきだと思うし、そうでないのなら無理にしなくてもいいと思う。二人でいる孤独の方が一人でいる孤独よりも辛い、とはよく聞かれる言葉である。

結婚の先にあるもの、それは二人で進む人生、子どもや相手の家族という新しい広がりだ。それは責任であり、やりがいでもあり、悩みの種ともなりうる。それでも、その道を選べば楽しいことも成長の機会もたくさんあって、一人では味わえない気持ちも味わうことができる世界が開けている。

結婚の先にあるものは、結婚した自分と自分の人生である。そこに出てくる夫や子どもたちは重要な登場人物ではあるが、自分の人生の主人公はあくまでも自分である。そのことは何があっても変わらない。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

この記事を書いた人

saiko

Saiko

アメリカ留学を経て、予備校や学習塾での英語教育に携わること約10年。在職中に英検1級を取得。TOIEC985点。法律関係に転職し、夫婦で同業、共働きしながら現在に至る。留学や受験時代の体験から人の潜在意識や潜在能力に関心を抱く。夫の星二の50歳の誕生日を機に、星二の夢である「ゴルフでシングルに」に一緒にチャレンジするべくゴルフを習い始める。3年で100切りを目指して、趣味の英語と旅行も織り交ぜながら、星二と一緒にゴルフの上達を目指す。楽しく上達がモットー。現在のベストスコアは、117。