先に進まなくてはと思うほど動けない状態、そんな時にふと目に飛び込んだのは、プロスキーヤー三浦雄一郎さんの「寝たきり状態」の記事でした。

先週来、急遽決まった拠点集約もほぼ終了し、新しいペースで仕事にゴルフに打ち込もうとそれまでは張り切っていたのですが、いざ作業が完了してみると次の態勢へとスムーズに進めない自分がいます。

何から手を付ければよいのか?

北関東を中心に生活し、東京に週に数日通勤するというペースを作るべく8月から計画し、実行してきました。ベッドフレームや事務所の冷蔵庫は無事に処分完了し、事務所の大きな机は北関東の私、彩子の書斎にデーンと収まっています。それまで客間だった和室に東京の自宅からきた家具が入り、寝室にも小さな家具が増えました。大きなソファーもリビングに加わり、北関東の自宅は少し手狭になった気がします。

それでも星二と二人で住むには十分な広さもあり、ガレージには自宅練習用ネット、スポーニアも設置できました。これでようやくやりたいことができる環境が揃ったと喜んで、日々早朝からゴルフ練習に勤しむ日々を自分では想像していました。

しかし、人間て(私だけかもしれませんが)なかなか思うようには動かない生き物です。いざ願った環境が整うと、なんとなく気力が抜けて、朝寝坊したり、夜更かししたりしてなかなかペースができません。

仕事も最低限で済ませて、もっとやれることはあるのですが、なんとなく先送りしています。

ブログも何か読んでくださる方に少しでも役に立てることはないかと考えると、更新できない日が続きます。

こんな自分では行けなと思いながら1週間を過ごしてしまいました。

やれることはたくさんあるのに、何から手を付ければ良いのかが自分の中で明確ではなく、結局何もできずに時間だけが流れて行っているような感覚に襲われています。

三浦雄一郎さんのお話

そんな中、今朝東京に向かう電車の中で目にしたのが「三浦雄一郎、88歳の挑戦『難病で8か月の入院、要介護4に。人生に〈もう遅い〉ということはない』という記事でした。

三浦雄一郎さんは、プロスキーヤー、登山家、冒険家として知られ、53歳でプロスキーヤーを引退した後、65歳で不摂生により悪化した体調を回復するべくトレーニングを再開し、70歳でエベレストに登頂された人です。その後も75歳で2度目のエベレスト登頂に成功し、80歳でも3度目のエベレスト登頂を成功させています。87歳の時に、突然突発性頚髄硬膜外血種という病に襲われ入院、その後遺症で2か月間はほぼ寝たきりの状態に陥ったそうです。

三浦さんの凄いところは、87歳で病に倒れる前に東京オリンピックの聖火ランナー(富士山五合目)を引き受けており、それを実行するために病床から必死にリハビリをされ、驚異的な快復を遂げたところです。これまでも心臓の手術を受けてエベレスト登頂を成功させたりと、超人的な人だとは知っておりましたが、87歳にして寝たきりの状態から8か月ほどで聖火ランナーとして登場するというのは、想像を超えた超人ぶりです。記事の内容を紹介します。

突発性頚髄硬膜外血腫というのは100万人に1人しか罹らない病気だそうで、頚髄を守る硬膜の外側に血種ができ、それが頚髄を圧迫することで運動麻痺や感覚障害がおこる病気で、三浦さんの場合、なんの予兆もなく、ある晩突然右半身が完全に痺れて動かなくなってしまったそうです。

三浦さんは倒れた時、直ぐに病院に搬送され、その日のうちに手術が行われ、幸い一命はとりとめたものの、脊髄を損傷した後遺症で、2か月寝たきりの状態になってしまったそうです。

その後、入院生活を続けながら運動機能回復の訓練を続け、バランスがうまく取れない状態でも、なんとか自力歩行を回復したそうです。

三浦さんの更に凄いところは、この病気に罹った時も、運動機能を失った時も、気持ちが落ち込むことは一度もなかったそうなのです。ひとつには、三浦さんがもともと楽天的な性格で、医者にお任せした以上はあれこれ心配しても仕方がないと割り切れたことがあるようです。そして、もう一つは、その時点で既に聖火ランナーの話を受けていたので、難病に打ち勝ち聖火を運ぶという具体的な目標がリハビリの一番の励みになったというのです。

三浦さんは、「やはり人間は、何か目標があると力が湧いてくるものなのでしょう。」と記事の中で仰っています。

そして、過去を振り返れば、三浦さんが65歳で最初に体調を崩した時に、その時点で新たな目標に向けて始動できた背景には、同じくプロスキーヤーでいらした三浦さんのお父様の影響もあったようです。三浦さんのお父様は、99歳の時にフランスのモンブランでスキー滑走をされたそうです。101歳で亡くなる直前までお元気だったそうで、三浦さんご自身もお父様の姿を近くで見て、まだまだ挑戦する時間は残されていると思われたそうです。

三浦さんが88歳の今も目標に向けてトレーニングをされていく中で、大事にしているのは、「無理せず継続させること」だそうです。三浦さんも88歳というご自身の年齢を決して無視することはなく、「年寄リ半日仕事」という諺にしたがい、がむしゃらにトレーニングするのではなく、無理のないトレーニングを実践しているそうです。たとえば、早朝のトレーニングは避けて、ゆっくりと身体のエンジンをかけてお昼から始めたり、お天気の悪い日や体調の悪い日は迷いなく休むそうです。

「何かを始めるのに年齢は関係ない」

三浦さんは、過去にも山で何度も、雪崩に巻き込まれるなどの「もう助からない」という瞬間を経験されたそうです。ピンチに陥ったときに、不安に駆られて焦ったりあがいたりすることが、逆に良くない状況を作るそうです。三浦さんは、そんな経験から「何事も、なるようになる。」と柔軟に受け止めるようになったのかもしれないとご自身の体験を振り返り、ご自分を「無責任楽観主義」と呼びます。

そして、88歳という年齢に達すると、自分より若い人たちが鬼籍に入ることも少なくなく、生きているだけでありがたいと感じることがあるそうです。そして、平凡な時間がとても大切なものに感じられるということです。

三浦さんは現在もリハビリを続け、その先の目標は、90歳でヨーロッパ最高峰のエルブルースに登頂し、斜面をスキーで滑り降りることだそうです。三浦さんは、仰います。「人生に、『もう遅い』ということはありません。何歳だろうと、今からできること、これから始められることはあるものです。」

これからの自分たちのしたいこと、そしてどう取り組むか

私は三浦雄一郎さんに昔から親近感を覚えています。それは、私の誕生日が三浦さんと同じ10月12日だからというのが一つの理由です。今朝たまたま目にしたこの三浦さんの記事も、前に進みたいと思いながらなかなか一歩を踏み出せていない今の私にヒントをくれました。

人生で新しいことを始めるのに、遅すぎるということはない。そして、無理をせずに自然体で継続して取り組むことが大切。ピンチになっても諦めずに冷静に解決に向けて動く。うまく行かないときもくよくよせずに、できることをやり続ける。そんなことが自分の心の中で三浦さんからのメッセージのように聞こえてきて、今の私たちに勇気と元気を与えてくれている気がしてきました。

私たち夫婦にとって、ゴルフはほんとうに楽しいです。私も星二のように、もっと早くに始めたかったと思うくらい、楽しいです。ですから、これからもゴルフをたくさんやって、スイングを習得し、スコアを纏められるように取り組んで行きたいと思います。それには、まだまだ整理しなくてはならないことがありますが、焦らずに取り組みます。

三浦さんの仰るように、目標をもって自分にできることから少しずつ、でも諦めずに続けて行くことの大切さを再確認しました。大きな目標を掲げて、その後に小さな目標を立てて行く、三浦さんの目標達成の方法です。私たちも、今一度目標を再度確認して取り組みたいと思いました。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。

この記事を書いた人

saiko

Saiko

アメリカ留学を経て、予備校や学習塾での英語教育に携わること約10年。在職中に英検1級を取得。TOIEC985点。法律関係に転職し、夫婦で同業、共働きしながら現在に至る。留学や受験時代の体験から人の潜在意識や潜在能力に関心を抱く。夫の星二の50歳の誕生日を機に、星二の夢である「ゴルフでシングルに」に一緒にチャレンジするべくゴルフを習い始める。3年で100切りを目指して、趣味の英語と旅行も織り交ぜながら、星二と一緒にゴルフの上達を目指す。楽しく上達がモットー。現在のベストスコアは、117。